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Kumamoto artículo relacionado "Otro Littleshoemarks"
熊本についてお届けする もうひとつの[小さな靴あと]

Después del terremoto de Kumamoto.
震災後の熊本

後になれば整理しなければなりませんが、今のところはカテゴリに分けることもせず、ただただダラリを書くことにします。本来ならば時系列もしっかりとしなければなりません。それも今のところはオーバースペック。今月書いたものを上に、それ以前は何となく分けて、その下に並べるか、ほかのページを作るか、そのうち考えるつもりです。明日できることは明日に、明後日できることは明後日に・・・と言っているうちに、きっと一切が過ぎてゆくのです。太宰です。

内容も、時系列すら忘れたという情けない頭なので、少々乱暴な順番になります。ただ、これってお話ししとくと何かの役に立つのかもしれないといったことを、書いておこうかなと思っています。たいして建設的なことは書いていません。

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みんな仲良くの課題

5年前の瓦礫問題



中岳の噴火

原発がない街だったこと


震災で考えたガソリンのこと



東日本の方々、阪神淡路の方々、感謝です。


ははん…先人の言葉

熊本でのワークショップ

不定期


随時更新します。




新着情報Erupción del Nakadake 中岳の噴火


数字的なことは新聞などが詳しく書いてあるので、割愛します。

阿蘇といえば、いつ噴火してもおかしくないといった認識はいつでも持っているのですが、今回地震のこともあって、客足は1割2割にまで落ちていました。それに大水害も、ご記憶に新しいでしょう。受難続きです。その客足もようやく8割程度戻ってきたところで、この噴火。なんともやるせない気持ちになります。

農作物への大きな影響も懸念されています。 今まさに収穫を待っているキャベツもあればリンゴもある。大豆や小豆にとっても、今が大事な時期。 火山灰で葉が覆われれば、光合成がうまく行われなくなってしまう。 先だっての地震で大打撃を受けたイチゴにとっても、 ハウスの劣化が懸念される火山からの降石や降灰は更なる心配事のはず。 幸い怪我人などは出ていないとのことで、そこは一安心。

もともと噴火に対しての警戒は持っている土地柄ですので、対応自体は早いといった印象を私は持っています。

一寸、話は飛びます。


阿蘇神社の火振り神事
が、私は大好きです。 阿蘇神社に祭られている十二神のうちのおひとりである「国龍神(くにたつのかみ)」が阿蘇神社から約12キロ離れた吉松宮から姫神様をお嫁にするのですが、「田作り祭」の間の、申の日に、神職が姫神様をお迎えにあがります。

様々な神事を行いながらの道中。阿蘇神社に到着するころには、すっかり暗くなっています。そこに住む人々は、一行が近づくとカヤの束に火をつけて一斉に振り回し、「こちらですよ」「お足もとに気を付けて」と、姫神様の到着を喜びます。 そして阿蘇にはようやく遅い春が訪れるのです。 これが火振り神事です。

阿蘇の生まれでもなければ、住んだこともありません。それでも火振り神事を幼いころから見ていたせいでしょうか。私は阿蘇の人々を「火とともにある人々」「火を操る人々」と感じています。 野焼きの風情も、まさに「火を操る人々」

阿蘇山があるからこその「火の国熊本」、というのが順当かもしれませんが、「火を操る人々が住むところ」だからではないかと私は感じています。 「なぜ火の国?」については様々な説があり、本当のところわからないのだそうです。

もし熊本への旅行をご計画中ならば、この火振り神事をご覧いただきたいところです。 「火を操る」「火と共に生きる」そんなことを感じていただけると思います。 だから噴火も大丈夫といった不謹慎なことも、もちろん言えません。 ただ阿蘇の人々は、火とともに生きてきたのだから「きっと」と信じることしかできません。

そして、安全が確保できた暁には、どうか皆さんも、阿蘇を訪れていただけると嬉しかです。



新着情報 Esta ciudad no tiene una planta de energía nuclear. 
・・・・・・・原発がなかったこと


原発について、賛否両論あるのは承知しています。また、原発に携わって生活を立てている人もいます。 だからこそ、批判も軽々しく言えないと感じています。 しかし、実際に地震となって、知り合いの安否や状況などがある程度把握できたあと、 ふと「この心配だけすればいいというのは、幸いなことなのではないか」と思ったのは確かです。

東日本大震災で、それはそれは大きな被害があり、その悲しみを思うと不用意に口にすべきではないとしつつも、もし、原発の問題がなければ、もっと復興はスムーズであったのではないかと、実際に被災した熊本に住むものとしては考えてしまいます。 熊本は日本中の人々に、「熊本の名産を知ってくださいね」「どうぞ観光にいらしてくださいね」と呼びかける復興にスライドしてきています。くまモンも頑張って宣伝して回っています。 「外貨(県外のお金という意味です)獲得」に奮闘しているわけです。

これは
「安全性」が担保されている上で、初めて生かされる形です。 「安全性への懸念」を消費者に抱かれてしまえば、このような形で頑張ることは出来ようはずがありません。

東日本に関しての懸念は「風評被害」なのかもしれません。しかし「風評」ではないかもしれません。そのどちらか迷うとき、ある程度の勇気を出して、その物品を買わなければならないわけです。 それが購買を鈍らせてしまった所以といえるでしょう。

「熊本は、そげなことがなくてよかったばい」といっているのではありません。 日本全国、どこでも地震の危険性はあります。 そのとき、ただでさえ地震の直接的被害やその対応で大変なのに、 それ以上の心配事を抱えさせる原因になるかもしれない原発について、 地震を心配していない土地の人も、心のどこかに止めておいていただきたいなと願うばかりです。

個々の悲しみや苦しみは、まだまだ続きます。しかし「熊本」として明るく元気に復興に立ち迎えるのは 経済活動に対して妨げがないからだと。 胸を張って「うちの食べ物、買ってください。」「どうか遊びに来てください」「美味しかよ」「楽しかよ」といえるからです。 原発事故はそのように言えないビハインドを負わせてしまうものに、間違いないような気がするのです。

誰だって、自分の生まれた、また慣れ親しんだ土地が大切で、「いいところだよ!」「何でもおいしいよ!」と自慢したい。それを奪われるのは、どれだけさみしいことだろうかと、それを思うとつらくなります。

◎そうそう…太陽の畑があったわ!

そうそう、熊本県外でもよく知られている「ドモホルンリンクル」の再春館製薬は、自社が消費する100%の電力を生み出せるメガソーラーを持っています。13年前に現在の「再春館ヒルトップ」に工場を移転し、その折に太陽光パネルを設置しました。そのときはまだ発電量10kWだったのだそうですが、そこから今まで、コツコツと自然エネルギーへの取り組みを続けてきたのでしょうね。それが実ったのです。発電容量は総計で約8MWに上り、CO2の年間削減効果は約3,000トンにもなるとのこと。

名前もいいんですよ。
「太陽の畑」っていうんすよ。とにかく、見れば圧倒されます。電気を太陽でじゃんじゃか実らせては収穫する、うん、まさに「太陽の畑」。本来大地は収穫しても収穫しても、絶えることがないんですよね。与え続けてくれます。そこに化学肥料や農薬などが介入した結果、どうしようもない土地が増えてしまった。それは別問題として…太陽の畑は与え続けてくれるんだなぁと、ちょっと幸せな気分になります。

ドモホルンリンクは、すごくいいよ!と言われる化粧品です。「でもお高いのよね。」という言葉も後に続きます。とてもとても今の私は使えません。「頑張って!応援しているわ!お金持ちになったら必ず使うわ!」と、心の中で応援旗を振っています。

再春館製薬ニュースリリース
http://www.saishunkan.co.jp/news/news_release/detail/20141016_01/

近頃は、バトミントンでも全国的に知られているのかな?



新着情報Gasolina 
震災で考えたガソリンのこと

◎今回の震災の特徴と言われた車中泊

熊本は車社会の最たるものです。もし車が運転できなければ、死ねといわれるのと同じというのは少々オーバーに聞こえるかもしれませんが、場所によってはちょっと買い物に行くのでも、公共機関を使って出てゆくのは案外大変です。 一家に一台の車ではなく、一人に一台です。

熊本地震で車中泊をする人の多さについて、連日ニュースでも取り上げられていました。 それによって体調を崩した人も少なくありませんし、死に至った方も残念ながらいらっしゃいました。 確かに車中泊は体もきつく、難儀です。 でも、少なくとも、プライバシーだけはあります。 また、移動ができます。 車中泊をしていた人への支援が手薄になったり、遅れたりといったことはありました。 それでも陸路が確保できていた益城の被災者の中には、植木町や山鹿などに車で行ってお風呂に入ったり、 食事を取ったり買い物をしたりといったことはできていました。

菊池の多くや植木、山鹿は益城から20キロ程度しか離れていませんが、全く被害はなく、 一時的にコンビニが品薄になったりといったことはあったものの、1週間も経てば、 それなりに物もそろってきました。 水に関して、被災地の中には、水道が復旧するのに1か月かかったというところもありました。それ以上もあったかもしれません。近くで水を買うということも、困難でした。 赤ちゃんや子供、お母さん、健康に問題がある方、お年を召した方が優先されるべきですしね。

それでも、被災地からちょっと離れると、湧き水があります。 水道水がイマイチの福岡などから湧水を組みに来る人でにぎわうような湧き水。 炭酸水が出るところもありますから、「ペリエかよ!」と、ちょっとした贅沢気分にもなります。そのように、水を確保することだって車があればできました。

益城に住み、被災した義理の兄は、車に多量にタンクを乗せ、実家にまで水を汲みに来ていました。ご近所さんにもお配りするのだと言っていました。もちろん陸路が確保できていた場所だからこその話ですが。

それでも一時的に何かにつけて混乱します。ガソリンも入れることが困難です。 これから先、どこで何が起こるかわからないということは、阪神淡路、東日本、そして熊本、この3つの震災を経験した日本に住む人にとって、共通認識でしょう。 もし車を所有しているのであれば、「できればいつも満タンにしておく」「満タンまでいかずとも、ある程度は補充しておく」と安心だと、今回痛感しました。

◎でも石油なくなるじゃん!についても考えました。

そうそう、そういえば、いくらなんでもテレビではなく、人のブログだったような気もします。車中泊について、「避難所があるのだからガソリンの無駄使い」「CO2のうんたら」といった意見を出していた人がいました。「今ここでそれ言っちゃうんだぁ」と、その馬鹿勇気に御見逸れしやした!だったのですが、赤ちゃんがいて迷惑かけるから車中で…とか、車があるから避難所のスペースは車を持たない人のために…とかが多かったんすよ、理由として。「人を思いやった挙句」だったんですわ。そんなこといわんとって!と言いたくはなりました。

なんか、想像力っていうんですかね。「なぜ車中泊しているのかな?」ということに考え至らないその人の思考が、なんとも寂しかったです。

もしこれが電気自動車だったら…と思うと、ぞっとしますよね。電気自動車のためのインフラって、まだまだ少ないんですよ、熊本は。電気もなかなか復旧しなかったのですから、当然数少ない最寄りの電気自動車のための充電スポットだってやられてたでしょう。 限りある資源をどう使うかも大事、CO2削減の問題も大事。でも今回の場合は、電気自動車であったら、本当に困ったはずです。

普段は電気で走り、いざとなったらガソリンでも走る、いわゆるハイブリットですよね。せめてそれでないと、ほんとにね…もう…。 電気自動車に移行するためには、それだけのインフラも必要で、災害時に切り替え可能なのがいいなと。で、電気なのであれば供給は原子力に頼るしかないといいはるなら、それは違うでしょ!とは主張しますけど。

まだ石油が枯れてしまうには、もうちょっと時間が与えられているでしょ?それって、きっと幸いです。技術者さん、研究者さん、頑張って!アルコールでも何でもいいじゃないですか。天変地異で復旧が大幅に遅れるものは、きっとダメなんです。



新着情報La gente de Fukushima y La genteHanshin-Awaji…Gracias.
東日本の方々、阪神淡路の方々…感謝です。

◎人と人とのつながりが…

今月末(10月13日現在)で、すべての避難所が閉鎖されるとのこと。ピーク時には18万人が800か所の避難所に避難していました。今は205人。このことを考えると、ああ、落ち着いてきたのかなと感じます。

最大の仮設住宅テクノ団地で、本日は急遽トランペット奏者によるボランティア演奏が行われることになったようで、皆が声を掛け合って演奏を聴きに来る様子がテレビで放映されていました。それを知って福島からお手伝いにいらしてくださった方もいらっしゃいました。

丁度「ライフラインもまだ復旧していない時期に、福島からのボランティアの方々が1か月も滞在してくださった」という話をされた農家のおじさんの映像が流された後で、「まだまだ福島も大変だろうに」と、今更ながら頭が下がる思いがしました。そのおじさんは、「毎年収穫したものを送り続けるつもりだ」ともお話しなさっていましたっけね。ご自分の体が動かなくなるまで、「元気だよ。ありがとうね。」の荷物が、届けられるのでしょう。

先日福島の仮設住宅の自治会長さんが、自分たちの経験をお話に来てくださったようです。「声を掛け合う」「人と人とのつながりを作ってゆく」この大切さをおっしゃっていました。声をかけ、ドアもあけずに「もう気にかけないでくれ」という中からの声に遠慮し、そのままにしていたその仮設住宅の住民は、その1週間後に孤独死なさったようです。「なぜその時にドアを開けて話しかける勇気がなかったのか」と、悔やんでいらっしゃいました。

仮設住宅に住む人は、できる限り元の家の近所の方が集まるように配慮されてはいても、そうそううまくは調整できません。つながりを持とう、つながろうとしなければ、顔を合わせて会釈するだけの仲になってしまいます。「トランペット奏者さんが聞かせてくれるらしかよ!」と隣近所に声を掛け合って、開催される広場に集まる、その姿を見ると、だんだんとつながりが持てているのだろうと、ちょっとほっとしました。そういう機会を与えてくださっているボランティアの方々にも「ありがとうございます」です。 何かイベントがあると声がかけやすく、またイベントに出向くと心がちょっとだけ華やぎます。希望も沸いてくるみたい。そういう力がイベントにはあるんですね。それをご存知の東日本の方や阪神淡路の方が、その経験を生かして気にかけてくださる。本当に感謝です。

どこかで大変なことが起こった時には、私たちもこの経験を生かした「何か」をしたいと心に決めています。 こんなことでお役に立つのだろうかと、二の足を踏む必要はないでしょう。

神戸では、ヤクルト作戦が行われたようですね。無料でヤクルトを配り、それが玄関先やポストからなくなっていれば生存、そのままになっていれば「なにかあったのだろうか!」とお声をかける、その安否確認に役立っていてということでした。お!ヤクルトとは!よくぞ適度なものを思いついたなぁと、感心しました。

こっちじゃなんだろう…さしずめジューシーってとこでしょうかね。ピングレが、ことのほかおいしいです。





新着情報Las palabras de nuestros predecesores

ははん…先人の言葉

◎波こさじとは

宮城県気仙沼市大島の津波を今に伝えるみちびき地蔵の昔話が、話題になりました。地震のことについて触れていないことから、遠地地震ではないかと言われています。被害が少なかった神社が多かったとも聞きました。

「大地震が来るとは思っていなかった」「予想だにしなかった」ということは、阪神淡路大震災でもよく耳にしたものです。いつの間にか歴史の記録から消えてしまったり、残されていなかったり、これを風化というのかもしれませんが、こういう話があった、歌の歌詞で意味深なものがあったと、後から気が付く「そういえば」は少なくなかったようです。

「風化」は、昔から懸念されていたことなのかもしれません。なんとかそれを後世に伝えようと、先人はキーワードを残しています。土地の名前にしてもそうですよね。

百人一首の42番歌、清原元輔の「
契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末(すゑ)の松山 波越さじとは」は、「末の松山を波が越すことなどありえない」ということと、二人の恋心が変わろうはずはないのになぁということをかけて詠んでいます。 869年の貞観の大津波の折には、末の松山にはかろうじて津波が寄せなかったのだそうです。

今回の東日本大震災でも同様に、「末の松山」までは、波も至りませんでした。清原元輔がこの歌を詠んだ時代はすでに貞観の大津波から100年ほどたった後で、「末の松山」は陸奥の歌枕になっていました。津波から40年ほど経過したのちに成立した古今和歌集に「末の松山波こさじ」は登場しています。

歌にするとあまりに美しいので、これが津波の教訓だと受け取れないと考えるのは尚早。平安時代の歌は、ネガティブな印象をそのまま歌にぶつけることはありません。「言霊信仰」が前提でもありますので、ストレートに歌に残すということは避けたでしょう。美しい言葉であるがゆえに、今までこうして残っているとも考えられます。津波のあった事実とともに、「大津波の時でも末の松山を波が超すことがなかったこと」にも気が付いてねという願いが込められていたのかも知れません。風化を危惧した故のことかとも受け取ることもできましょう。

なんさま(なにしろ)都の人は雅ですから、優美な言葉でつづりもしますが、地方や下々だと、「みちびき地蔵」のように、もうちょっと直接的な言葉で残すかな?とも思います。

◎先人は必ず何かを残している?

熊本は、今回の地震以前にも、かなりの大地震がありました。まず1611年の東北地方「
慶長の三陸沖地震」が起き、その8年後に肥後で大地震が起きたとのこと。そこから6時間後大分竹田の岡城が倒壊するような地震が起きました。同年に、愛媛を大地震が襲います。 この流れに今回が酷似しているといった指摘がネットなどを中心に広まっていました。

確かにそうかもしれません。研究を普段からなさっていた方は、熊本地震についても「備えるべきだ」と声を挙げていらしたのかもしれませんね。 この熊本の地震については、熊本藩の地誌「肥後国志」や岡藩中川家の「中川史料集」といった日々の記録に記載があります。太平の世のことで、書いたものが後世に残ることを信頼できた時代となってもいたでしょう。

しかし戦国以前は識字率も低く、ましてやひらがなが発明される以前、民間人はどのようにして後世に伝えていいか、その術が難しかったのではないかと思われます。 昔話や歌、和歌などで、口伝に伝える方法しかなかったのではないでしょうか。 今回の熊本の地震についても、何かしら民間に伝わっていた「教訓」や「教え」があるのかも。 それをちょっとづつ調べて、
スゴロクにできないだろうかと思案中です。

熊本は、以前から案外頻繁に揺れていました。「そのうち来るかもしれないけど、こうやって少しづつエネルギーを放出していてくれれば、その時に少しはいいのに」といった話を幾度となく友人たちと交わした記憶が私にはありました。「そのうち来るよ」というのは、それなりに人々の間で認識していたことなのかもしれません。それよりも、噴火がないとは言えない土地なのだから、そっちが来たら怖いなぁとは、ぼんやり思っていました。

おできを頭に描きます。おできは自分でちょっと穴をあけておくと、少しずつ膿が出て何かと楽。おできに任せていると、とんでもない有様になります。

「ちょっとづつ、ちょっとづつ、いま火口が開いているところから出てくれないかなぁ」と願っています。ちょっとづつでも阿蘇に住む人は大変なのは重々承知です。でも、ドカンと来れば、きっとこれどころの騒ぎではなく、受難続きの阿蘇がこれ以上悲しい目に合うのは、見たくありません。

「まさか」という土地でも、その土地の言い伝えや昔話、わらべ歌などを、ひも解いてみてください。先人が後世に残したかったもののヒントが隠されているものです。消えゆく文化を憂いて、何とか残そうと紛争している人々がいます。こういったものをなくしてしまうのは「文化をなくす」ことのみならず「その地で生きる知恵」を手放してしまうことかもしれません。伝える使命もあるはずです。



新着情報Estar avergonzado de sí mismo…

みんな仲良くの課題

◎11月16日朝日新聞

11月16日、朝日新聞は、とあるいじめにあっていた男の子が当時の手記を公表したことを記事にしていました。彼は東日本大震災の関連である福島第一原発事故が原因で福島県から横浜市に自主避難した家族の一員です。現在中学一年生。フリースクールに通っているとのことで、どれだけ心に傷を負ったのかと伺い知ることができるような気がします。

放射能の件が大きく懸念されていた時期でもあり、彼は「ばい菌」と呼ばれたり、「賠償金があるから金があるだろう。それを持ってこい」と合計150万円を超えるお金を取られたりしていたようです。先生に何度も訴えかけ、少なくとも彼は「まったく相手にしてもらえなかった」と感じ、失望します。何度も死のうと思い、その度に「たくさんの人が震災で死んだのだから、僕はつらくても生きると決めた」と踏ん張りました。

長崎や広島に原爆が落ち、それだけでも言葉にしがたい苦しみを味わっているのに、戦中戦後にわたり、被爆者が「ピカドン」「感染する」と差別的な扱いを受けたという話は、耳にしたことがあります。祖父の話で恐縮ですが、祖父の家の近くにも、長崎からの疎開者家族が住んでいました。子供はあからさまに、そして大人は訳知り顔で、事あるごとに彼らを差別していたといいます。祖父は住民のその態度に「なんと無教養な!」と怒り、住民を集めて「恥を知れ」と諭したそうです。

◎「恥を知れ」

この言葉は、真理だと思います。悲しく苦しい思いをして来た人に寄り添えない、これも「恥」。「感染する」などと言い出す、この無教養も「恥」。他者が賠償金をもらった、そんな懐具合をアテにする、これも「恥」。そして何よりも人をいじめる、こんな大きな「恥」はありません。 このいじめには、幾重にも「恥」が重なっています。

いじめを受けている人を救う、これは迅速に対応すべきことです。大人はまず耳を傾けねばなりません。確かに子供はすぐに嘘をつきますし、ごまかしもします。被害者妄想にもかられるでしょう。しかし「いじめられている」と訴えてきた子に対して、「本当にいじめがあるのだろうか…」と、それを最初に疑うべきではないですよね。「本当のことである」ということを前提に話を聞き、動くことが大切かなと。

私は「教育なんたら」でもありませんし、「親」でもありません。でも「子供時代」を過ごして大人になりました。それは誰にとっても当たり前のことなのですが、そのことを大人になってしまうと忘れがちです。私は「その時代のことをよく覚えている大人」なのだろうと思っています。だから「こうあってほしい」「こうあるべきだろう」と考えるこれを、ここでお話ししています。

そして忘れがちではありますが、「いじめをする子供」もまた救いの手が必要な人格です。「いじめ」という恥知らずな行為をしていることを気づかれずに過ごしてしまえば、それを「恥」ということに気が付かないまま大人になります。またいじめをする背景に、「なんらか」の「歪み」をかかえているのかもしれません。

◎熊本地震に意味を

熊本地震は起こらないほうが良かったに決まっていますが、起こってしまったことは甘受するしかありません。そこに 「意味」を持たせることが大切なのかなとも思います。災害の受難に苦しむ人の心を深く理解することができるでしょう。寄り添うこともできるでしょう。

仮設住宅の問題など、ある程度、落ち着きました。しかし「ある程度落ち着いた」ということは、そこから脱却が難しいということでもあります。仮設住宅は、「震災直後よりはずっとありがたい」のですが、以前の生活とは全く違います。じわじわとストレスも積み重なってゆくでしょう。新たな問題を抱えるに至る可能性は大いにあります。

それは子供たちも同様で、いじめ問題などとなってストレスは露見するかもしれません。その時に大人は何を教えるのかなんですよねぇ。 今回手記を公表した中学一年生の男の子の勇気を無駄にしたくないものです。


新着情報Hace cinco años los escombros.

五年前の瓦礫

◎五年前のがれき受け入れ拒否

今回の熊本地震で、5年前の東日本大震災の折の瓦礫の受け入れを熊本は拒否していた、これを思い出した人も多いのではないでしょうか。熊本県では、熊本市など県内8団体が受け入れ拒否を環境省に伝えたと報道されていました。今回の地震でその拒否したことを思い出し、「あの時に協力しなかった熊本に対して、どう考えていいのかわからない」と釈然としない思いを抱えた人がいたとしても、それは致し方ないことです。「そう思うでしょうね」と、半ばあきらめています。

「安全な瓦礫」と言われていました。しかしあの時点でどこまで「安全」の言葉を信用できたのか、今ですらわかりません。熊本は原発を持たない土地です。それは明確な「反対」があった故の「今」です。「食の安全」を、胸を張って全国に発信できる土地であり、もし何かが起きたときに「安全性」を提供できる土地である自負があります。これが最大の「売り物」「財産」「資源」でもあるわけです。 瓦礫を受け入れてもし何かがあれば、大きな財産を熊本のみならず、日本が失うことになります。 全国津々浦々、うっすら実害がない程度に放射能の影響を受けるのと、受けていない土地を残すことのどちらが建設的なのかを考えます。

確かに実に風評的に受け入れに反対した人もいるでしょう。それこそ「感染する」と福島から避難してきた子をいじめた子供と同じ感覚で拒否した人もいたかもしれません。その可能性は否定しません。しかし、
安全性に全くクエッションやビハインドを持たない土地を残すことの使命について考えた故で反対した人も多かったわけです。それが巡り巡って、全体の利益になるとも考えたでしょう。


◎熊本だからできること

熊本は水俣病の問題を抱え続けてきました。「食の安全性」への懸念や問題意識は高いのではないでしょうか。熊本地震の被害にあってもなお、がれき受け入れ拒否については、少なくとも「間違った選択ではなかった」と私個人は考えています。だからこそ、次にほかの土地で何かあったときに、「熊本ができること」があるのです。

原発の問題で、故郷を捨てる選択を余儀なくされた方々は、その問題がなければ、その土地で生きてゆくために全力で困難に立ち向かったのではないでしょうか。そのさみしさ、無念、悲しみに心を寄せています。



新着情報Taller en Kumamoto.

熊本でのワークショップ

◎ワークショップ

読書会小さな靴あとの主催は兵庫です。同じく震災の経験を持つものとして、熊本への継続的な支援を 行うことを常々考えております。

人は飽きるもので、ボランティアの波も1年たてばなんとなく落ち着いてしまうものです。 とはいえ、生きるの死ぬのへの支援はすぐに必要なくなりますが、精神的な支援は実際のところ 少なくとも5年間は必要です。 出来ることは一人一人が微々たるものですし、ましてや企業のようにど~んと支援することもできません。

そこで、読書会小さな靴あとは、こういった天変地異で失われる可能性が高い文化財や文化そのものに 対する支援を行ってゆこうと考えました。

その一環として、益城町立広安西小学校でのワークショップを継続して行うことを考えています。 昨年2回、そして今年に入って1回、既に行っています。 また、卒業式に合わせて、広安西小学校の1年間を追った双六を作成し、お配りいただきました。 KINANOKIにとって大変勉強になったわけですが、何が勉強になったのかってことですね。 子どもが立ち直るのを、いかに大人は手助けするかってことなんですわ。

◎子どもたちの心を助ける姿勢


井手校長先生は子どもたちに「下を向かせないためには」ということをお考えになったとのこと。 子どもは、大きなことが起きてしまうと、そこで立ちすくんでしまいます。 それはもちろん大人も同様ですが、それまで生きてきた経験値の中で「こうして乗り越える」という それなりのセオリーも持っているものです。 ある程度のセルフコントロールを、自らしてゆくんですね。
「つらい時こそ笑おう。笑うとそれに気持ちが引っ張られて上を向ける」とかですよ。 怖い時は歌を歌うと元気になるとか…そういう簡単なことも、セルフコントロールの一つでしょう。

でも、子どもにはそれがない。 立ちすくむんですよ。 その部分の記憶をなくして、自己防衛することもあります。 壊れそうな自分を、どうやって支えるか、その知恵がないのが「子ども」ではないでしょうか。 大人の手助けが、本当に必要です。

広安西小学校は、たくさんの支援の申し出を、どんどん受け入れました。 小学校に外部の人間を入れるのは、並大抵の覚悟ではありません。 様々な事件も、巷で起きています。 実現させることは、鬼平犯科帳でいうところの「お腹を召されるご覚悟」があったのではないかと 推測します。 PTAとの強力なタッグも素晴らしかった。

じゃぶじゃぶじゃぶじゃぶ、イベントの嵐。 その忙しさ中で子供たちは学校に行く目的を思い出し、または見出し、力がわいてきたことでしょう。

土日が非行をつくる的なことって、ほれ、巷で言われているじゃないですか。 学校が楽しくて、忙しくて、土日も行く目的があれば、非行に走っている暇がない。

私は「ああ、こうやって子供たちを乗り越えさせたのか」と この双六をつくりながら、涙が出るような気持でした。

◎理解度が薄いことから発生した炎上


そういえば、「月に一回スープを」の募金活動をクラウドファンディングで募ったことが 炎上につながったのどうのとネット上で言われましたな。

なぜクラウドファンディングを使うのか、実際にお聞きしたわけではないのですが 、個人が募金を集めるのに、たとえ同じPTA内であっても、クラウドファンディングを使うのが 一番スマートで、ガラス張りに募れる方法だったであろうと、私は理解しています。 同じ学校に通っている父兄からの募金でも、このシステムを使ったほうがいい。 対象として想定していたのは、そういった「地域」からの支援であったかもしれませんよ。 こういう活動をしているという、拡散力もあるわけです。

それに対してどうやらこうやら言いたい人も全国にはいるわけですが、 それはまぁ、考え方の違いでしょう。 もし、相手のことを思っての発言ならね。 思ってないなら、言いたいだけのこと。

私個人としては 「あんたらの話は聞かんわ。だって何かに隠れて発言しとるだけやん」 ってとこなんすけどね。 今度、クラウドファンディングを使う意図を、直接お聞きしてみます。

◎ありがとうっていい言葉

読書会の主催の椿野は、地元神戸でも、子供たちに向けたワークショップを行っています。 父兄同伴ではありますが、「お世話になりました」「ありがとう」の言葉すら まったくおっしゃっていただけない時も多い。

その言葉が欲しいわけではもちろんないのですが、なんとなく寂しい思いを抱えた。 それは傍で見ていて感じます。

人間、「ごめんなさい」も必要やけど、基本「ありがとう」やろ!ありがとう! その言葉で世の中渡れる! と私は思うんですけどね。

熊本でワークショップを行うと、必ず「ありがとう」「楽しかった」が子供たちから聞かれ 、親御さんからは「お世話になりました。私も楽しかった。」と言っていただけます。 椿野も、報われる気持がしただろうと、私も内心ほっとするのです。

多分、ほかのボランティアの人々や支援で出向く企業の方々も、「ありがとうございます」その一言で、すべてが報われていると思います。





Otro littleshoemarks

本家
http://littleshoemarks.my.coocan.jp

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