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Kumamoto artículo relacionado "Otro Littleshoemarks"
熊本についてお届けする もうひとつの[小さな靴あと]

Después del terremoto de Kumamoto.
震災後の熊本

カレンダーに掲載させていただいた支援先情報の詳細を、こちらのページから紹介させていただきます。カレンダーではスペース的に制約があり、しっかりとお伝えすることができていません。皆様のご参考になるようにと務めています。

また私共の関連で行えた募金等のご報告も、こちらで致します。

     

que se hapublicado en el calendarionuevo artículo 
カレンダーに掲載していた支援先情報ですと

以下の支援先をカレンダーに掲載しています。詳細は挿絵をクリックしていただくと、このHP内の詳細ページに移動します。直接情報はそのページのリンクからお願いします。

1月


熊本城公式

熊本城災害復旧支援金

2月


阿蘇神社HP

3月


熊本城阿蘇神社等
被災文化財復興支援委員会


4月


動物愛護団体ドッグレスキュー熊本

5月


熊本県地産地消サイト

6月


閲覧で阿蘇神社への寄付につながるユーチューブ動画

7月


宇土市庁舎再建寄付金及び義援金受付

8月


サンバおてもやん 2016 プロジェクト

9月


南阿蘇村生活復興支援ボランティアセンター

10月


阿蘇岡本 阿蘇神社復興支援プロジェクト

11月


日本財団熊本地震ボランティア活動資金への寄付窓口

12月


被災地障害者センター



新着情報Castillo de Kumamoto 熊本城災害復旧支援金

◎熊本城災害復旧支援金とは

同じような名前が多いのでどれがどれだかわかりにくいのですが、こちらで紹介しているのは、熊本城公式HPで募っている募金です。熊本城はもともと「一口城主」といった面白い方法で修復その他の資金を集めていました。一万円を寄付すると一口城主とされ、記念城主証の発行や芳名板の掲示、入城料が無料、城内での買い物も10%OFFなどの特典が与えられていました。「私の城」と言えてしまう楽しさがありました。「私の城」なのですから、入城料が無料は当たり前です。自分の城に入るのに、お金を払う城主はいません。正式名称は熊本城復元整備募金。しかし今回の地震によって芳名板などの対応が難しく、しばらく受付を休止しているようです。(仮カードでの対応が始まりました。)直接的に今回の地震による被害の復旧のために役立つお金を募る窓口として、熊本城災害復旧支援金窓口が設けられました。
http://wakuwaku-kumamoto.com/castle/support

◎完全復旧は何年かかる?

震災前の姿に完全に戻るのは、もう私たちは見られない可能性が高いでしょう。今年生まれた子供ですら、もしかすると難しいかもしれません。これから復旧計画などが明らかにされてゆくはずです。このHPでも随時お知らせしてゆくつもりですが、予算の関係、また技術者の関係などもあり、10年20年で完全にということは、まず難しいと考えられます。100年はかかるとも聞いています。見るも無残な姿になって、今までそれと確認することがなく過ごしてきていましたが、大きな精神的な支柱であったのだと気づかされました。

◎幾度となく危機を乗り越えてきた熊本城

武士の時代が終わり、お城は、「戦国の余物」「無用の贅物」として、取り壊されそうになりました。この話は大変興味深く、詳しく書きたいところですが、ここでは泣く泣く割愛。それを回避できると今度は西南戦争。しかし鉄壁の熊本城。西郷さんの軍は誰一人として城内に侵入すること叶わず、西郷さんは「加藤清正公に負けた」と語ったといいます。その後も歴史の流れの中で老朽化していったのですが、昭和35年の国体に向け、何とか復元しようと市も動き出しました。その時に瓦募金やら強制徴収の計画やらがありました。瓦募金については、このたびの震災で炭で名前が書かれた瓦などが露わになり、そういうことがあったということはまた注目されました。ただし市内の一戸一戸から、強制的に復元費用を徴収するという計画は実現していません。相場師であった松崎吉次郎さんからの5千万円の寄付によって、それをせずとも賄えたという背景があったようです。松崎吉次郎さんはことあるごとに「熊本城は自分が建ててやる」といっては、家族から「馬鹿なことを」と言われていたとのこと。しかしそのお金がなければ、復元は難しかったでしょう。夢を現実にした人でした。

◎多くの支援が集まっているが

地元、そして全国の企業から、大きな支援を受けています。大変ありがたいことです。それでも瓦募金や一口城主のように、熊本は「小さなお金をこつこつと集める」ことに長けているところがあるように感じています。もちろん他県でも同じような集め方はしているのでしょうが、特に熊本城のお金の集め方は有名なのではないでしょうか。企業体や団体からの大きな支援を受けてもなお、それでもまだまだ足りない状態。「コツコツと集める」方法が、また生かされるはずです。

◎熊本のサグラダファミリア

残念ながら熊本城に慣れ親しんできた私たちの年代は、確実に元の姿を見ずにこの世を去ることになります。大変寂しいことではありますが、「いや、これって後世に残すギフトだ」と思えるようになりました。サグラダファミリアの完成を見ることなく死んでいった人の多くは、きっと後世に残すギフトだと考えていたのかもしれないと、そこに熊本城と今を生きる私たちとを重ねるようになりました。私たちは完全復旧を見ることができなくても、その過程を楽しみにすることはできます。そして、まだ生まれていない子たちに、お城のある土地に住んでもらおう!愛せる町だよ!と、心の中で語り掛けたりしているのです。



新着情報 santuario Aso 阿蘇神社

◎本殿は重要文化財ではない、ここがネック

ゆく年くる年などで初詣の様子が全国に流れることも多く、阿蘇神社をご存知の方もたくさんいらっしゃるでしょう。このたびの熊本地震での三大ショックは「熊本城」と「赤橋」、そして「阿蘇神社」の倒壊でした。「え?まさか!」といった印象だったのです。「本震が収まった後で外に出ると、普段なら黒い拝殿の影があるのにそこには夜空があり、目の高さに拝殿の屋根が見えた」と、神職はテレビの取材に答えていらっしゃいました。どのような様子であるのか画面に映し出され、ようやくこちらも「大変なことになった。本当のことなんだ。」と信じることができた、そんな心持でした。


倒壊や損壊した7棟の建物のほとんどはは重要文化財としての指定を受けていましたが、拝殿は昭和23年に再興されたため、指定から外れています。10年の期間と約20億円の再建費用が要するといわれ、その全額が神社の負担になります。(写真・共同通信社)


阿蘇神社とともに生きている参道の人々は、インタビューに「阿蘇神社が身代わりになってくださった」と口々に答えていました。阿蘇神社の被害に対して、参道やその周辺に住む人々の被害が、その割に小さめであったことは驚きです。もちろん決して無傷であったわけではありません。心が折れそうになるほどの被害はあったはずです。それでも阿蘇神社に感謝の思いから、1週間程度で商売を再開する姿が報道されました。一日でも早く元気を取り戻し、守ってくださった阿蘇神社の御恩に報いたいという気持ちからだと、参道の方々はお話ししていらっしゃいました。

熊本にとって、阿蘇神社は熊本城と同じく、精神的な支えです。

http://asojinja.or.jp/


新着情報 Los bienes culturales
熊本城阿蘇神社等被災文化財復興支援委員会

◎文化財への危惧と支援窓口

熊本城や阿蘇神社の一部は重要文化財の指定を受けています。それは「再建」に行政の力が介入できることでもあります。また全国的にも有名で、たくさんのファンもいます。言い方は悪いのですが「様々な方々からのご支援も頂戴しやすい」ということになります。しかし今回の地震で、重要文化財としての指定を受けていても、あまり知られていない文化財もまた、大きな被害を受けています。こちらのページにも記載している熊本城への支援先、阿蘇神社への支援先はそれぞれに「熊本城の再建」「阿蘇神社の再建」に使われることを目的としているもので、そのお約束の上で募金を集めています。単独で呼びかけることが可能なネームバリューがあるのです。しかしそれだけのネームバリューがない文化財であっても、実は歴史的に大きな意味があり、後世に残すべき遺産に違いはありません。熊本城阿蘇神社等被災文化財復興支援委員会が設置している募金窓口は、熊本城、阿蘇神社に限らず、広く文化財に投入するための資金を集める窓口です。

http://www.pref.kumamoto.jp/kiji_16505.html?type=top

熊本県熊本市西区花園にある胸突雁木(むなつきがんぎ)とよばれる長い石段は、石段の中央に信者から寄進された石灯籠が並ぶ、急こう配の176段。加藤清正公の墓所[浄池廟]へ続く道です。雁木とは石段のこと。「胸突」は、胸を突くような。今でいうところの「心臓破り」といったところでしょうか。

熊本地震でこのような姿になってしまいました。 胸突雁木に限ったことではありません。宗教が背景にあったとしても、こういった文化財は、すでに信心を超えたものです。宗教を超えて、守るべきもの、のちに伝えるべきものとなっています。


こういった「昔からある存在」の中に、様々な知恵や教えも残されていることがあるといったことは、先の阪神淡路大震災、東日本大震災が私たちに教えてくれています。のちに生きる人々が、それを知るきっかけすら失ってしまう可能性があるのが、災害や戦争、そして行政の方針の変化です。

◎未来の「知る術」を喪失させないために。

熊本城の石垣が崩れたことで、江戸時代の建設当初、石工の人々が残したと推測される人型が見つかりました。石垣を造る際の安全祈願や地鎮の目的であったろうといわれています。昭和35年前後の瓦募金の様子を伝える瓦が見つかったりしていますよね。もしこれが戦火に書き尽くされていれば今に伝わることはありませんでしたし、「瓦礫」として扱ってしまえば、このことを知る術を、「未来」は失うことになります。

熊本の復興は、世界や日本が犯した失敗や過去の様々な反省点の上に成り立ってゆくと信じています。



新着情報Organizaciones de bienestar animal 
動物愛護団体 ドッグレスキュー熊本

◎ペットも人間も同じ

熊本市はもともといち早く殺処分ゼロに取り組んだ土地です。

日本では無責任な飼い主の都合、過剰供給などを背景に、年間23万頭にも上るペットが殺処分になっています。熊本は11年前から殺処分ゼロを目指し、今では犬の生存率は92%を超え、殺処分は3%です。その3%も、年々ゼロに近づいています。ここに熊本市動物愛護センターの必死の戦いがありました。これは多くのメディアが取り上げ、書籍にもなっています。ご興味があれば、ご覧になってください。

どうしてもペットと一緒に暮らせなくなってしまった人がいて、その子たちに里親を探していると聞いたとき、「成犬だし、血統書がついているわけでもないし、難しいのではないか」と傍で私が感じても、きちんと里親が見つかることが多い不思議が熊本にはあります。職員さんのお働きももちろん大きいはずですが、「誰かが引き取ってあげないとこの命は消されてしまう」という認識を持つ人の多さではないかと感じます。

今回の震災で、今まで一緒に暮らしていたペットを、どうしても預けたり手放したりしなければならなくなってしまった方々が頼ったのが、この「動物愛護団体 ドッグレスキュー熊本」です。

迷子の預かりもしています。もともと運営が大変な機関。そのうえ、急激に増えた収容頭数を抱えて、頑張っていらっしゃいます。震災は落ち着いても、元通りの生活を被災者皆が手に入れられたなどということはなく、まだまだこういった救済の手が必要なペットは減りません。

寄付窓口が設置されています。人の命もその他の命も尊さは同じ。誰かが簡単に運命を決めてしまってもいい、そんな命はありません…よね。

http://www.setup-jp.net/drk/index.html




新着情報Prefectura de Kumamoto,
la producción local para el consumo local sitio 
熊本県地産地消サイト

◎この機会に熊本を知ってほしい「食べて復興」

熊本は言わずと知れた農業王国です。私、kinaco-kinanokiの主人の実家もスイカ農家。季節季節の食べ物を嫌というほど食べては、季節が終わればまた来年を楽しみにする、そんな生活をしています。

熊本産の食べ物は、大阪までであれば、なじみも深いのかもしれませんが、それより北になると、スーパーなどに並ぶ熊本の産物も、種類が少なくなっているのかもしれません。ぜひ食べていただきたい!常日頃から、そう思っています。「スイカは好きじゃない」と言っていた人が、どれだけ取れたてのうちのスイカで「スイカってこんな味だったんだ!」と、ファンになってくれたことか!「うちのスイカの自慢」ではなく、「熊本の食べ物の自慢」をしているつもりです。

熊本は、今回の震災で大打撃を受けましたが、「熊本を知っていただくいい機会になっている」と、考えをシフトしています。熊本県地産地消サイトでは、熊本の作物や特産品を詰め合わせた何種類もの復興応援セットが紹介されています。買っていただくことで熊本は大助かり。感謝感謝ですが、買ってくださった方にもご満足いただける一挙両得の施策です。


熊本地産地消サイト
http://cyber.pref.kumamoto.jp/chisan/

同サイトおすすめページ
http://cyber.pref.kumamoto.jp/Chisan/kiji/pub/detail.aspx?c_id=65&type=top&id=371



新着情報Las donaciones en YouTube ユーチューブを見て寄付

◎多種多様な寄付の形

寄付がをするには、ちょっとした余裕が必要です。明日のご飯も果たして食べられるのだろうかと悩むほど生活が困窮しているときに、「何かしてあげたい」といった気持ちがあっても、寄付することが叶わないという人だっているはずです。食べるものも食べないで寄付してほしい、そうするべきだなんて、誰も言いません。「そのお気持ちだけで十分だ」という気持ちは、決してきれいごとというものでもないのです。でも、そういった方々の善意も形にできるシステムが、今ではたくさん出現しています。たとえば「クリックをする」「カードの中にたまっているポイントを寄付に回す」などは、東日本大震災の折にも活躍した募金のスタイル。とても良い方法だと思います。

◎何度も継続できる進化形

寄付してくださった方々にも何かお礼がしたいと思うのは、寄付を受け付けている側も抱く思いです。もちろん「元気に復興」することが一番の恩返しです。また、どこかで何かが起こった時に「手を差し伸べる」これもご恩返しになるでしょう。それとは別に、ちょっとしたお礼がその都度できれば、こんなに素敵なことはありません。毎回新しいものが配信されるのを心待ちにできるような興味深い動画が配信され、それを見るだけでそのたびに寄付ができているといスタイルは、まさに「みんなが幸せ」な寄付の形だと感じています。

◎餅は餅屋

ユーチューブに動画をアップすると広告収入を得ることが可能だということは周知です。それを寄付に回せば、見る人に全く負担をかけることなく、寄付を得ることができるのです。そのスタイルで阿蘇神社の復興を願って配信されている動画があります。

阿蘇市出身であり都内で映像制作の仕事に従事していたクリエーターの方が、製作を手掛けています。仕事を辞め、阿蘇に帰郷したところで本震に。変わり果てた阿蘇神社を前に、言葉を失ったといいます。神社の存在がどのようにそこに住む人の心の中に根付いているのか、都会の人は理解が難しいかもしれません。そういったことも含め、動画で今の被害とこれからの復旧を伝えていきたいという気持ちから、地元の人々の協力を得ながら、また阿蘇神社の全面協力のもと、友人らと3人で動画を作って配信しているとのこと。さすがに餅は餅屋。見ごたえのある動画です。特に「田舎」を持たない都会暮らしの方々に見ていただきたい動画です。

フェイスブックから配信されています。
hhttps://www.facebook.com/asojinja/

直接Youtubeでご覧になる場合は、以下のURLから


第一弾
https://www.youtube.com/watch?v=SKp_zR6Ukbc

第二弾
https://www.youtube.com/watch?v=T-eezrjVkX8

第三弾
https://www.youtube.com/watch?v=GpDr8czgR7c




新着情報 UtoAyuntamientodonacionesde reconstruccióny
se aceptan donaciones 宇土市庁舎再建寄付金及び義援金受付

◎宇土庁舎が打撃を受けたその誇り

宇土庁舎は竣工から51年が経過していました。当時においては大変モダンな作りであったろうと、その姿を目にするたびに感じていました。高度経済成長を遂げていた日本の勢いを今に伝えるスタイルです。阪神淡路大震災を日本が経験したのちの2003年度、庁舎の耐震診断が実施されたとのこと。震度6強程度の地震で大きな被害が出る可能性の高さと、耐震補強のむずかしさはすでに指摘され、改築が勧められるとの診断が出ていたそうです。しかしそこまでの予算をたたき出すことができなかった宇土市は、庁舎の建て替えよりも学校施設やその他の公共施設の建て替えや耐震補強工事を優先し、庁舎の建て替えを後回しにしてきた結果が、今回の倒壊につながっています。

東京のオリンピック施設の予算や豊洲問題などを見るにつけ、その桁の違いに「へぇ~、お金持ってんだな」とびっくりします。地方はそんなに潤沢なお金は持ちません。お金がたくさんあると雑になるんだなぁと、ぼんやり思うばかりです。


今回の地震について、テレビのインタビューで市長(だったと記憶していますが)が「おかげで学校施設などは被害を受けなかった。この優先順位を誇りに思っている」とお話になっていました。ちょっとウルウルときてしまった次第です。


◎廃食油を持ちよって

宇土庁舎は8月中旬から解体工事がはじまりました。そこで使われている重機の燃料は、市民から集めた廃食油を精製して作られるバイオディーゼル燃料(BDF)が使われます。環境への配慮ももちろんですが、市民が参加して復興を目指すモデルケースになることもまた、注目されています。もともと宇土市では、市役所と支所2か所に廃食油の回収ボックスがあり、その素地はありました。資源循環の意識づけにもなると、期待が寄せられています。

熊本地震 宇土市庁舎再建寄付金及び義援金の募集について
http://www.city.uto.kumamoto.jp/q/aview/1/13184.html


◎うとん行長しゃんは案外かわいい

宇土市にもゆるキャラがいて、それが「うとん行長しゃん」
天正16年1588年に加藤清正と共に肥後入りして,宇都、益城、八代、天草の4郡24万石の領主となった小西行長さんがモデルです。この方が行った町づくりが、今でも宇土の基盤となっています。秀吉にかわいがられ、堺の商家の子から武士に召し上げられて一国の主となったのですが、関ケ原の戦いで石田側の主力として戦ったがゆえに、のちに処刑されてしまいます。


熱心なキリシタンであり、その影響で、宇土にはキリシタンが増えました。良い殿様だったのでしょう。「うとん行長しゃん」の胸にはクルスがかけられています。宇土市の市章は兜ですよ。



新着情報 Proyecto Samba Otemoyan 2016
熊本市公認『サンバおてもやん2016』プロジェクト

◎おてもやんってなに?

もともとは芸者さんたちがお座敷で歌った熊本甚句だったということ。とても陽気な歌です。 芸者歌手であった赤坂小梅さんの歌唱で1935年ごろにレコード化されたそうで、全国でもよく知られているのはそのためと考えられています。ザ・ピーナッツや植木等さんも歌ってらっしゃいましたね。

オリジナルの歌詞はこんな感じ

おてもやん あんたこの頃 嫁入りしたではないかいな
嫁入りしたこたしたバッテン
御亭(おてい)どんが 菊石面(ぐじゃぺ)だるけん まぁだ盃ぁ せんだった
村役とび役肝入どん 
あん人達の居らすけんで あとはどうなぁと きゃぁなろたい
川端町つぁん きゃぁ めぐらい
春日南瓜(ぼうふら)どん達ぁ しりひっ張って 花盛り 花盛り 
ピーチク パーチク 雲雀の子 ゲンバクなすびの イガイガドン

一つ山越え も一つ山越えて
私ぁあんたに ほれとるばい ほれとる バッテン 云われんたい
追い追い彼岸も 近まれば 若もん衆も 寄らすけん
熊本の 夜聴聞詣りに ゆるゆる話も きゃぁ しゅうたい 
男ぶりにはほれんばな 煙草入れの銀金具が それが そもそも 因縁たい
アカチャカ ベッチャカ チャカチャカチャ

お座敷小唄というのは、松の木小唄にしても島田のぶんぶんにしても、格好いい。 おてもやんも熊本弁色が強いものの、やっぱりかっこいい曲です。サンバとなれば更にかっこよく、2009年に発売されたおてもやんサンバは、お祭りの時や華々しい時にはよく流れています。 これを復興のテーマソングにということで立ち上げられたのが、
熊本市公認『サンバおてもやん2016』プロジェクト。元気な熊本を全国・世界に発信していくというものです。

オフィシャルHPは
https://sambaotemoyan.amebaownd.com/

◎iTunesStoreで配信。それが支援に

7月29日にiTunesStoreより配信されています。

▶サンバおてもやん2016 (feat. 水前寺 清子, コロッケ, ポチョムキン from 餓鬼レンジャー & 高良 健吾) / おてもTRIBE
https://itunes.apple.com/jp/album/id1138192292?at=10l7qr&app=itunes&ls=1


▶WITH ONE VOICE (feat. DOYO組少年少女 from 熊本 & 津久見樫の実少年少女合唱団 from 大分) / ミト カツユキ
https://itunes.apple.com/jp/album/id1138192219?at=10l7qr&app=itunes&ls=1


この2曲が配信開始されました。 収益は、熊本城災害支援金として寄付されます。 ユーチューブに動画がアップされていますので、それもご覧いただけるとかなりうれしい。


https://www.youtube.com/watch?v=2nyQSx6CTmA


かっこいいなぁ、水前寺清子さんは…となります。井出らっきょさんのことはなんとも個人的に苦手意識があったのですが、これで大好きになりました。 あくまでも個人的な意見ですが。 震災後、やはり無傷であった私の住んでいる町でも気持ちは沈むもので、その時にラジオから流れてくるこの曲と訛バリバリの「ご当地ラジオ体操」には、本当に元気づけられました。



新着情報 Minami Aso Mura
asistencia para la reconstrucción vida Centro de Voluntarios

南阿蘇村生活復興支援ボランティアセンター

◎足りない人的支援

このような言い方はあまりに短絡的で不謹慎だと思うものの、ボランティア熱は冷めるもので、実際に流行り廃りに左右されるといった側面があるように思います。それは先の阪神淡路大震災や東日本大震災の折も感じていたことです。全国放送のテレビが取り上げなくなってからも、人的支援の必要性は継続しています。

5月の連休中は、有り余るほどの人的支援が集まり、それはそれで大変ありがたいことだと感じていましたが、その時も「この熱は冷める」と、どこかで危惧していました。ある程度落ち着いたように見えていても、実際はそこからが本番なのだと、強く感じています。

もちろん当事者は「お願い」しかできません。「忘れられてしまったのだろうか」「今も手伝っていただきたいのに」と口に出すことはあまりに図々しくて、それは絶対にできないものです。大きな自己犠牲をもってボランティアに徹するなどなかなかできないことですし、それを求めることなどしてはならないのです。熊本の人って奥ゆかしい。福岡からお嫁に来た私は、いつもそう感じています。
「ありがとう」を一生懸命言ってくれる、そんな人々です。精一杯のおもてなしの心にもあふれています。

今まで手伝ってくださった延べ7000人ものボランティアの方々への感謝が、南阿蘇村生活復興支援ボランティアセンターのフェイスブックにはつづられていました。

だからこそ、熊本は「お金を集めよう」としています。熊本の魅力を知ってもらい、遊びに来てもらったり、おいしい食べ物を食べてもらったり、
楽しんでもらうことを前提に、それを復興の力に変えようとしています。くまモンは、日本各地で「熊本に来てね」とニコニコ笑っています。それが熊本の復興活動だとも思います。

しかしそれでもなお、阿蘇大橋がある南阿蘇、その周辺は、人手不足に苦しんでいます。震災前の生活を取り戻すことは、まだまだ遠い話なのかもしれません。そのことを知っていただきたいなと思います。また、東日本大震災の被災者の方々も、こういった問題は続いているのだろうと感じています。

どうか日々、ちょっとした希望や楽しいこと、普通の喜びがありますように。


新着情報 Aso sidra de reconstrucción santuario
阿蘇神社復興サイダー 蛍丸

◎復興支援商品

復興支援付きの商品は、巷に溢れています。どうせ購入するならそういうものをと、消費者としての私は思っています。寄付金やボランティアは「できる範囲」が誰でも限られています。だからこそ、人が必要としてくれるものに「復興支援」をつけて、きちんと製造費や若干の利益(責任準備金と表現したほうがいいかもしれません)を確保して販売する、この方法は、私は個人的に好きな方法です。

◎できる範囲、得意分野

多くの人が自分の「できること」「得意な分野」で、支援を行っています。私たち「読書会 小さな靴あと」も同様です。ふと考えます。「日本国民総人口1億2708万人が、お財布の中にある1円を、もし何らかの形で寄付してくれたら…ほれ!もう1億超えるわぁ。もしこれが10円だったら…うひゃひゃひゃひゃ!」

実際には生まれたばかりの赤ちゃんや子供たちに「1円頂戴!」も言えませんから、絵に描いた餅なのですが、 それだけ小さな力は大きな力だ!と思うのです。 様々な支援のスタイルは、今後の何かしらに必ず役立つと考えています。モデルケースになるようなスタイルも続々と出現した今回の震災です。

◎地サイダー 蛍丸

メディアに取り上げられたのがかなり早期だった「地サイダー蛍丸」は、阿蘇の酒販であり特産品企画会社である「阿蘇 岡本」さんが製造販売なさっています。おいしいんですよ、これが!阿蘇神社の復興支援商品です。1本税込み300円の中から100円を再建費用として寄付する計画が付帯されています。目標は総額1億円とのこと。「これまで守っていただいた恩返しをしたい」と、新聞のインタビューに答えていらっしゃいました。

阿蘇神社復興プロジェクト 地サイダー・蛍丸
http://www.aso-sake.com/shop/products/list.php?category_id=29

地サイダーの300円は、決してお高くありません。順当な金額です。そこから寄付金に充てる部分をねん出し公表しているのですから、「これが商売人が行うキレイな支援の方法のひとつだわ」と、私は個人的に思っています。長く続けられる方法で、私が好きな理由も「できる範囲を皆が継続する」というところにあります。

蛍丸サイダーに限らず、復興支援付き商品はたくさんあります。お品もその品質も、喜んでいただけるものばかりです。

◎ゲームの人気で、若い女の子のほうが知っていたりする宝刀蛍丸

「蛍丸」は、神社の宮司に代々伝わってきたいわゆる宝刀です。 総長4尺5寸刀身3尺3寸4分5厘の大太刀。江戸時代に出版された古美術図録『集古十種』に「肥後國阿蘇大宮司惟純螢丸太刀圖」として掲載され、絵図も載せられているとのこと。『集古十種』は第8代将軍・徳川吉宗の孫である陸奥白河藩第3代藩主・松平定信を中心に編纂されたものです。


「名」の由来は南北朝時代にさかのぼります。南朝側の武将であった阿蘇惟澄が使っていた刀だと伝えられています。建武3年1336年に、多々良浜の戦いで菊池武敏を助けた惟澄は、足利軍に敗れてしまいました。刀は激しい戦いのため刃こぼれしてしまっていました。しかしその夜、この刀に蛍が群がっては刃こぼれを直している夢を見た惟澄が目覚めて刀を見ると、本当に刃こぼれが直っていたという、この伝説に基づいています。

それから阿蘇氏が家宝として大切に伝えていたのですが、戦国時代の末期に、阿蘇氏は島津氏に敗れて滅びてしまいました。後に阿蘇神宮の大宮司として再興。それまで大切にしていた蛍丸を阿蘇神宮の宝刀として伝えたのです。太平洋戦争終戦後、残念なことに所在不明になってしまっていました。今は復元プロジェクトも立ち上げられて、刀剣ブームに乗って、希望額以上の出資金が集まりました。このたびの熊本地震の折には、出資金の一部が、阿蘇神社への見舞金として寄付されています。


新着情報 Nippon Fundación Kumamoto Actividades terremoto voluntarios fondos
日本財団熊本地震ボランティア活動資金への寄付窓口

◎日本財団って?

公益財団法人日本財団は、競艇の収益金で成り立っています。海洋船舶関連事業の支援を行ったり、公益・福祉事業や国際協力事業を主として行なっている公益財団法人です。昔、子供たちが朗らかに歌う「戸締り用心火の用心」が、一休さんのアニメのCMで流れていました。それを聞けば「ああ、あれかい」と思い出す人も多いかもしれません。成り立ちが成り立ちですので、好感を持てない方も少なくはないと思いますが、日本財団のスピード感と支援の大きさには、他の災害の時も、また今回も、頭が下がります。ありがたいものです。

◎異例の速さ

熊本地震において、日本財団は緊急性の高い避難者への医療や福祉面での支援、非常用トイレの配備、被災者への見舞金といった緊急支援策行うとともに、「熊本城再建支援」30億円を、総額93億円の支援の中に盛り込むと、4月の時点で発表しました。緊急性の高い支援のみならず、文化財保護の支援を早急に決定したことには、本当に驚きました。この背景には、東日本大震災での教訓があったといいます。東日本大震災の折には、6か月経過した時点で12億の文化財保護支援を決定しました。被災地の神社の再建やお祭り開催に向けた支援などを行ったのですが、この経験から財団は「
文化財への支援が人を明るくする。」ということを学んだとのことです。

◎文化財やお祭りがある意義や意味

熊本でも「祭りを行うなど不謹慎なのではないか」といった意見もありました。しかし、そもそもお祭りは疫病が流行ったり、天変地異が起こったりといった、人の気持ちが沈むときに始まったものも多く、そういう時だからこそ派手に花火を打ち上げることも花火大会の起こりですし、鎮魂とともに人に希望を与えるためとして行われてきたものです。
まさに今やるべきもの。開催は正解だったと思っています。 日本財団が文化財保護支援をスピーディーに決定した理由は、そこにありました。東日本大震災で、文化財やお祭りが開催できるように支援し、お祭りが復活すると、避難していた人々も戻ってきたとのこと。この支援が、人々の心に希望を与え、活力を生み出すものになるということを確信したのだそうです。

これを教訓に、日本財団は2014年に大規模災害が起こった時にすぐ動かせる準備金の積み立てを、特別基金といった形で行い始めました。毎年50億円づつ積み立てる計画であったのですが、熊本地震発生時には100億円がすでに積み立てられていました。その100億円を使ってもらえたのです。

◎報告もしっかりしている日本財団

寄付金の使い道やどのようなボランティアを行ったか、またボランティアを支える資金を支援するなど、幅広い支援を行ってくれていると感じています。またHPなどでもしっかり報告してくれています。募金するにしても、最も信頼できる窓口のひとつです。

日本財団熊本地震ボランティア活動資金
http://www.nippon-foundation.or.jp/donation/kmeq/main/

ボランティアを行っている団体へ、その活動資金を支援する、いい形の募金だと思います。


◎熊本にボート場はないんですけどね

私は福岡で生まれ育ち、福岡を競艇の町だと、小さいころから感じていました。競艇ファンということではなかったのですが、選手の名前はよく知っていました。かっこいいポスターを目にして「どうしても欲しい」と競艇場の事務局に電話を入れ、ご親切にもプレゼントしていただいたこともありました。なんとなく、日本財団に対しての違和感は感じていません。しかし熊本に競艇場はありません。かろうじて場外舟券場が長洲にあるだけです。

「すごいね、日本財団」と何人かの熊本の人に話をすると、「あちゃ、ボート場もなかけん(ないから)、こっちゃ(こっちは)なんの貢献もしとらんだったとに。あったらばお礼に少しは遊んでもよかったのに」と笑っていました。もともとボートを知らないと、ボートピアに遊びに行ったって、たいして面白くはないだろうと思います…。

ほかにもたくさんの企業や団体が支援を行ってくださっています。ありがたいことです。個人さんの支援もありがたいことです。ありがたいことばかりです。


新着情報 Centro de discapacidad zona de desastre
被災地障害者センターくまもと・JDF熊本支援センター 

◎災害弱者の方々の悲しみは深刻

災害弱者と呼ばれる方々のご苦悩は、取り残されがちです。仮設住宅やその他の住宅の供給はあらかた収束しました。しかしその住宅が、いわゆる災害弱者といわれる方々にとって、決して快適なものではないようです。「快適」は、ぜいたくな話ではありません。行政に配慮が足りないというのとも違います。

まず屋根や食べ物が必要な時期があり、その次はパーソナルスペースが必要になり、そして「家」が必要となり、次は生活し続けるための最低限の「快適」が必要になるのです。特に災害弱者といわれる方々が快適に過ごすために何が求められているのか、これは個々に違い、対応はかなり困難なものなのでしょう。とにかく早く建てなければならなかった仮設住宅に、求めるものが足りていないというのは、本当に致し方ないことなのかもしれません。時間がかかってしまうものです。

それではそのために用意された場所で、同じく災害弱者の方々は集まればいいということでもありません。地域住民との間で構築された助け合いや心のつながりを捨てて、新たな生活に踏み切ることは、大変不便でストレスでもあります。

また、私たちが協力して生活しやすくすることは、相手のためだけではなく、この地で生きてゆく自分を含むみんなのためなのだと思います。とても難しく、どう表現していいのかわからないのですが、困っている人に心を寄せることは、自分のためでもあるような気がします。一方的に何かしてあげるというわけではなく、「お互いありがとう」なのかなと。

被災地障害者センターくまもと・JDF熊本支援センターは、被災地障害者の方々のSOSに対応するための支援センターです。ボランティアの募集も受け付けています。
http://hisaitikumamoto.jimdo.com/

◎ユニバーサルデザインについてちょっと考える

今回の地震で、ユニバーサルデザインについて、よく考えるようになりました。 10年ほど前から使われだした言葉のように記憶しています。

ユニバーサルデザイン7原則はロン・メイス博士によると

1.誰でもに公平に利用できる(公平性)
2.使う上での自由度の高さ(自由度)
3.使い方が簡単で理解しやすい(簡単)
4.必要な情報が明確で明解である(明解)
5.デザインがうっかりミスや危険につながらない(安全)
6.無理なく使用でき、少ない力であっても楽に使いこなせる(持続性)
7.アクセスのよさとスペースが確保されている(空間性)

なのだそうです。


モノやシステムといったものの広義のデザインについての原則だと理解しています。これって多分、「心」にも言えることなのかなと考えます。 大儀が「どんな環境の人でも皆が同じように生きやすい世の中」なのかなと。

災害がおき、その被害の大きさの違いは個々にあって、悲しみも様々です。でもその話は別として、生活環境の中で「特別につらい人」「特別に生活しにくい人」があってはならないような気がするのです。こういった災害時になって初めてわかる「足りなかったもの」「配慮」があるのだとすれば、その経験を生かさなければならないように思うのです。


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